セブ島最前線〜特別寄稿 旅行記
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<1日目>
パック旅行「アイランドコレクション」の関空への集合時刻は、出発2時間前の正午過ぎ。 シャトルでゲートに向かう。ゲートにはJALの女性乗務員が一人いる。「あのー、フィリピン航空ってJALのマイレージききますか」と念のため聞くが、やっぱりダメ。長椅子にはルビー・モレノのようなジャパゆきさん、ベールをかぶったフィリピンの修道女もいてタガログ語、もしくはセブで使う方言のビザヤ語らしきものが耳に入る。到着した飛行機から次々と降りてくる乗客はそろって黄色い免税店のビニールバッグを下げている。 やっと搭乗だ。席は中央部4人並びの右はじ。エアバスのシートは悪くない。6年前にプノンペンのポチェントン空港からからアンコールワットがあるシェムリアップ空港行きのロシア製イリューシンに乗った時は、シートは堅いし、天井から水蒸気が白煙のように吹き込んでくるしで大変だったが、今回は快適。しかしなかなか飛び立たない。足に毛布をかけていたのに急に機内が暑くなった。華氏だったら100度をこえているのではと思われた。 4時間弱でマクタン国際空港に到着。午後7時というのにもう暗い。入管では色の黒い役人に「マヨーン、ガビ。ミステル(今晩は、ミスター)」と覚えたてのビザヤ語で話しかけるが、返事なし。ノーチェックの税関を出て銀行で50ドルをペソに両替。レートは1ドルが39ペソだから、ざっと1ペソ3円強ということになる。 ともあれPRCに着いた。バスから降りる時、貝殻で作られたネックレスを従業員が一人ひとりにかけてくれた。奥のダイビング教室で名前を呼ばれテキストを渡された。286ページある。スタッフは「暗記してください。最後にテストがあります」。ちょっと待て、今から全部覚えるの?送迎タクシーで宿泊先のベラビスタホテルに到着したのが午後9時過ぎ。405号室で風呂に入った後、衛星放送で28チャンネルの「MTV」、48チャンネルの「Vチャンネル」などの音楽クリップ番組を見る。やっぱりフェイ・ウォン(王菲)はいい。ロリーもかわいい。テレビ付けっぱなしでテキストを勉強した。終わったのは午前2時だった。 |
<2日目>
どうも風呂のお湯は朝は熱いが、夜はぬるい。 この日は学科講習。1つの章ごとにビデオを見た後、講師(日本人のシロウさん)の説明を受け、小テストをこなす方法で講習は進んでいく。昼食も同じ場所。同じグループで、女性同士で来ていた女子大4回生のHさんと一緒に、山羊の煮込み料理をいただいた。Hさんはイギリス文学が専攻で、色白のかわいいお嬢さん。講習の最後は確認テスト。50点満点で37点以上取れないと追試、それでもだめだと再試らしい。何とか42点でパス。同じグループ7、8人の中には50点満点の人も2人いた。まずは安心。 夕方から、同じグループの仲間と車2台に分乗してセブで一番大きい「シューマート」に買い物に行った。空港よりシューマートの方が交換レートがいいと聞いていたが、1ドルが39・5ペソで、大して変わらなかった。150ドルを両替した。実は出発前日、天満5丁目のパチンコ店「丸天」でパチスロ「ニューパルサー」で純益2万7000円を上げていた。すべて土産代に充てようと心に誓っていた。1階のアクセサリー用品売場で、大学1年生の長女用にとセールのパールのネックレスを499ペソ(約1500円)で買った。安い。次に4階の華僑の店で、妻用に金のピアス2セットを日本円で計1万円ぐらいで買った。金は今安い。次におもちゃ売場で高校2年の二女用にと、リカちゃんのボーイフレンドのケンの人形を1900ペソ(約5700円)で買った。ただし、この人形はフィリピンの男性の正装「バロン・タガログ」を着ている。中1の長男には何も買わなかった。 その後、3人でタクシーでベラビスタに帰ることにした。シューマートから出た瞬間、タクシー乗り場の列に並んでいなかった腹黒い運転手が「250ペソ」と日本語で叫んだ。来る時は60ペソで来たので、英語で「だめだ。60だ」といって別のメータータクシーに乗り込もうとしたが、腹黒い運転手がメータータクシーの運転手とビザヤ語で何やら相談を始めた。結局80で交渉成立。3人で割り勘したから、1人当たり日本円で80円で乗った計算。20分ぐらいかかったと思う。 |
<3日目>
朝早く目が覚めた。フロントで従業員と話し込む。 講習2日目は、午前がプール、午後が海洋実習。ウェットスーツを着て、ボンベを、BCDと呼ばれる空気で膨らませるベストのようなものにつなぎ、レギュレーター(空気を吸うところ)などをセットする。ブーツの上からフィン(足ひれ)をつけ、鉛(私の場合は5キロ)入りのベルトを着用し、顔にはシュノーケル付きのゴーグルを着用する。まず水にはいる時の練習。あと水中でゴーグルを一回はずして、再度着用し、吸い込んだ息を鼻から吹き出すすることによりゴーグルから水を排出する練習。ペア(バディ)のエアーがなくなったときに、もう一人が予備のエアーをあげるやり方とか、大事な合図の練習。ところでフィリピン人インストラクターのドゥドゥさんはガード下の焼き鳥屋のおっさんという感じで職人肌。もう一人のロイは大槻ケンジ似の若者だった。 昼食後は初めての海でのダイブ。実は潜る前にゴーグルにつばをつけなかったために、ゴーグルが曇って曇ってしようがなかった。塩水はしょっぱいし、舌先は乾くし。海から上がる時、同じグループの若者たちは「もっと潜りたい」と言っていたが、私は正直言って非常に疲れていた。この日、関心したのは、突堤近くにラーメンのカップが浮かんでいるのを見つけたインストラクターがわざわざ海に飛び込んで回収したことだった。やはり海を愛しているからこそ、ゴミが気になるのであろう。この点は日本人も見習わなくてはいけないと思った。オリエンテーションで明日のダイブの場所は、Uさんの「ウミガメか、ジンベエザメが見たーい」というたっての希望で、セブ市北西のモァールボァール島に決まった。追加料金が150ドルかかるが、あと1日しかないのだから、ここはとふんぱつしてみる。 気を取り直してその夜はベラビスタ5階のプライベートプールで泳いだ。いるのは私一人。夜景をみながら泳ぐ。ところがクロールをした時に、右のソフトコンタクトがはずれてしまった。スぺアを持ってきていたので助かった。従業員がプールサイドにやって来て「ウンサ ローム ナンベル」と言った。意味が分からなかったが、その後「部屋のカギを持っているか」と英語で聞いたので、405号室のカギをみせてやったら納得していた。ウンサはビザヤ語で「何」。「ローム ナンベル」は「ルーム ナンバー」のことだとやっと分かった。ひどいなまりだ。その夜も自室でサンミゲールを飲んだ。 |
<4日目>
6時15分に送迎の車が来る。が、またまた目が早く覚めた。 銃はマルコス大統領時代は、セブ島の山奥の村に密造工場があった。安物だったが、村の特産品だった。しかしアキノ政権に変わってからは、ガン・コントロールが地方にも行き渡り、これらの村の細々とした家内労働は日本の銃器メーカーがのれんを買う形で、現地での生産はうち切られた。当然、銃器を使った犯罪は減った。麻薬では、大麻やコカインは所持することももちろん法律で禁止されている。ただ大麻は田舎では胃の薬として使われることがあるという。どこかに秘密の大麻プランテーションがあり、時々警察が捜索して、押収物を焼却しているという。休憩を終え、山道に入るとヤシやバナナの木が多くなる。途中、舗装されてない道路もあったが、どんなに田舎でも道を歩く人々は必ず服を着ている。このあたりはインドシナ半島と違う。実質失業率は50%ぐらいと現地の人は言っていたが、一人当たりのGNPはインドシナ各国よりかなり高いのではなかろうか。 途中、土葬の墓地もある。横浜の外人墓地のように白い石(幅1メートル、長さ2メートル、高さ50センチぐらいか)が並んでいた。祭りにも出くわした。屋台の店がいっぱい出ている。未亡人たちは、長い白いろうそくを手に、ベールをかぶって、神妙な顔で教会に入っていく。途中、道路右側に「中絶は罪だ」という立て看板があった。父親が両手に手錠をかけられているイラストつきだ。裏側の看板には「ストップ・エイズ」と書かれている。さすがはカトリックの国だ。 10時すぎ、やっと目指すモァールボァールに到着。ウェットスーツに着替えると、Tシャツ売りの子供が「買って」と迫ってくる。子供に名前を聞かれ「テツだ」と答えると、「後で買ってね」と笑顔。どこの国でも子供の笑顔はいいものだ。日本で子供の笑顔を見ることは少なくなったが。ダブルリガーの小船に乗って約15分のデスカドール島へ。 |
![]() セブ島モァールボァール沖のペスカドール島でダイブ中に遭遇したウミガメ。背中にいるのはコバンザメ (女子大生のUさん撮影) |
![]() これもUさん撮影のミノカサゴ |
小休憩の後、さらに小舟で海に。テーブル珊瑚の上でコバルトブルーや黄色い小魚が遊んでいる。まるで水族館、東京でいえばサンシャインの、大阪なら海遊館。と思ったら、右手首に黄色と黒のまだら模様のウミユリが付着していた。このせいで、帰国後に腫れてしまうのだが。ともあれ最後のダイブは平穏に終わった。 陸に上がると物売りの子供が群がってきた。Tシャツは150ペソ(約450円)という。取りあえず一列に並ばせて値踏みする。外国ではでは向こうの言い値で買ったら損する。しっかり縫製部分をチェックし「メードインUSAじゃないから3ドルだ」と主張する。こういう交渉は、相手の数が多ければ多いだけ、売り手側を競争させるにかぎる。最初の女の子が3ドルで値段交渉成立。あとは3ドルでいいTシャツだけを選ぶ。横着なおばさんが「私は2番目に並んでいる。私のを買え」とか言い出す。先に買うと約束していた女の子のを買うと、おばさんはまた文句をいう。そこで「ダブルスタンダードかもしれないが、約束は守らなければいけない。先に並んだからといっても買えるものじゃない」とこっちも声を張り上げる。結局3ドルでTシャツ6枚を買った。 帰りの車中は心地よい疲れに包まれたが、あすには帰国と思うと、時間がもったいないから何でも見ておこうという貧乏性からまた寝られない。われわれの車はオスメニアサークル周辺の大渋滞を抜けて、フルーツスタンドでヤシの実を15ペソ(45円)で買い、その場で割ってもらいゴクゴク飲む。メロンをミネラルウォーターで割ったような味がした。中の白い部分もすくって食べた。同行のHさんら女性2人も飲み、記念写真を撮っていた。 PCRのレストランでサンミゲールを飲んでいたら、メンバーのうち京都のOL2人がやってきたので同席。話していたら生演奏4人組がやってきて、各テーブルを演奏しながら回る。これがうるさいし、恥ずかしい。1曲が終わったところで退散してもらおうと50ペソ紙幣を渡したら、すぐ別のテーブルに去っていった。現金なやっちゃ。サンミゲールは結局2本飲んだが、1本目で、体が波間に浮いているような感じ、2本目で頭の中に昼間のダイブの光景がフラッシュバックしてきた。ベラビスタまでは、ナイトダイブを楽しんだという広島県の老年グループと一緒の車だった。翌日も5時起きということで、出国税550ペソを別にして、現金残高管理作業後、0時ごろに就寝。 |
<5日目>
迎えの車は6時20分頃来た。 帰国便の映画はまた「ノッティング・ヒル」。おいおい、別なのはないのか。おまけにプロジェクターが壊れている。ドルが余っていたのでおみやげ用にタバコと香水を買った。関空に着くと雨だった。税関では「一人でダイビングに行かれたんですか。向こうにお知り合いでもいるんですか」とか聴かれた。中年男が一人でダイビングに行っちゃおかしいか。荷物を受け取り、Tシャツや香水、チョコレートなど段ボール1箱分、宅配便で東京の妻子に贈った。時計をみると午後2時。きょうは午後4時から会社で会議だ。やっと現実に戻った。 |
(後記)
日常の惰性に流されてきたような日々の中、思い切ってダイブツアーに参加して本当に良かった。休暇といえば遊ぶだけの日々だったのが、やっぱり人生はチャレンジだなあと、自分の人生観がちょっぴり変わったような気がするし。中年の人にもおすすめですよ。泳ぎがへたな私にだってライセンスが取れたんだから。道中、一緒になったみなさま、本当にありがとうございました。 |