セブ島最前線〜特別寄稿 旅行記


  寄稿者 てっちゃん
  寄稿日 1999年9月19日
 
1999年9月12日から16日まで、スキューバダイビングのライセンスを取ろうと、エイビーロードで見つけたツアーでフィリピンのセブ島に一人で行って来ました。以下はその旅行記です。
私は42歳の会社員。業種はマスコミ関係。東京に妻子を残し、97年5月から大阪に単身赴任中。週に一回のアスレチックジム通いが、ほとんど毎晩になっているアルコール摂取の被害を何とかくい止めている。

  

<1日目>

 パック旅行「アイランドコレクション」の関空への集合時刻は、出発2時間前の正午過ぎ。
 早く着きすぎて関空内をぶらぶらする。記念写真を撮っている10人ぐらいのグループでは中国語が飛び交っている。円をドルに換える為替レートは東京三菱銀行の関空出張所で109円75銭(対顧客相場)だ。円高が進行している。それ以前に300ドル分、ドルを買っていた私としては損した気分。
 指定された時間にカウンターに行くと、早くも人の列。スーツケースを抱えた若い人が多い。自販機で2600円余りの高額の関空利用券を買わされる。入管を通過し免税店に走る。知人から「セブの免税は品物がない」と聞いていたため、妻に派手めのイブ・サンローランの口紅5本セットを約8200円で購入。「1本の市場価格は3千円」と書いてあったが、本当?現地のおみやげにマールボロ2箱を32ドルで購入、小ぶりのリュックサックがおまけでついてきてラッキー。

 シャトルでゲートに向かう。ゲートにはJALの女性乗務員が一人いる。「あのー、フィリピン航空ってJALのマイレージききますか」と念のため聞くが、やっぱりダメ。長椅子にはルビー・モレノのようなジャパゆきさん、ベールをかぶったフィリピンの修道女もいてタガログ語、もしくはセブで使う方言のビザヤ語らしきものが耳に入る。到着した飛行機から次々と降りてくる乗客はそろって黄色い免税店のビニールバッグを下げている。

 やっと搭乗だ。席は中央部4人並びの右はじ。エアバスのシートは悪くない。6年前にプノンペンのポチェントン空港からからアンコールワットがあるシェムリアップ空港行きのロシア製イリューシンに乗った時は、シートは堅いし、天井から水蒸気が白煙のように吹き込んでくるしで大変だったが、今回は快適。しかしなかなか飛び立たない。足に毛布をかけていたのに急に機内が暑くなった。華氏だったら100度をこえているのではと思われた。
やっと離陸。機内食は平たいスパゲティー。塩分が少なくまずい。ハイネケンビールでなんとか流し込む。機内では「ノッティングヒル(の恋人)」を上映。街娼を買ったということで、米国内で逮捕された過去があるヒュー・グラントが本屋、ジュリア・ロバーツが女優。おたがいに惹かれ、恋をし、ハッピーエンドで終わる物語。ジュースをわざと服にぶっかけて話すきっかけをつくるなんて古い。ストーリーも単調で、監督の安上がりに済ませようという魂胆が見え見え。吉本興業の藤井隆ふうのドイツ人のオカマが笑わせてくれるのが唯一の救いか。
それにしても右のヘッドフォン聞こえなかったぞ。倒産して経営再建中の航空会社だから仕方ないか。

 4時間弱でマクタン国際空港に到着。午後7時というのにもう暗い。入管では色の黒い役人に「マヨーン、ガビ。ミステル(今晩は、ミスター)」と覚えたてのビザヤ語で話しかけるが、返事なし。ノーチェックの税関を出て銀行で50ドルをペソに両替。レートは1ドルが39ペソだから、ざっと1ペソ3円強ということになる。
 空港の建物を出て「アイランドコレクション」の現地人スタッフの手配で大型バスの最前列に乗り込む。パシフィック・リゾート・セブ(PRC)までは約20分。道路沿いには屋台が多い。豚の丸焼き(レチョン・バブイ)やビリヤード。子供が群がっている店に何があるのかと思ったら、カラーテレビでドラマを放映中だった。サイドカーを自転車に取り付けたトライシクル、バイクに取り付けたバタバタが目につく。右側通行で、道路に中央線はない。カンボジアやベトナムで見た光景だ。ただ違うのは、ドライバーがクラクションをほとんど使わないこと。

 ともあれPRCに着いた。バスから降りる時、貝殻で作られたネックレスを従業員が一人ひとりにかけてくれた。奥のダイビング教室で名前を呼ばれテキストを渡された。286ページある。スタッフは「暗記してください。最後にテストがあります」。ちょっと待て、今から全部覚えるの?送迎タクシーで宿泊先のベラビスタホテルに到着したのが午後9時過ぎ。405号室で風呂に入った後、衛星放送で28チャンネルの「MTV」、48チャンネルの「Vチャンネル」などの音楽クリップ番組を見る。やっぱりフェイ・ウォン(王菲)はいい。ロリーもかわいい。テレビ付けっぱなしでテキストを勉強した。終わったのは午前2時だった。
 

<2日目>

 どうも風呂のお湯は朝は熱いが、夜はぬるい。
 おまけに硬水で泡立ちが悪い。そこで家から持ってきた洗剤パックをボディーソープ代わりに使うことにした。洗濯も一緒にできる。ベラビスタ1階レストランの朝食には驚いた。だって食事がジュースとコーヒーと食パン2枚とバターとジャムだけ。給仕が皿を下げたので、次は何か出てくるかと思ったが、見事に裏切られた。迎えの車に乗り込みPRCへ。

 この日は学科講習。1つの章ごとにビデオを見た後、講師(日本人のシロウさん)の説明を受け、小テストをこなす方法で講習は進んでいく。昼食も同じ場所。同じグループで、女性同士で来ていた女子大4回生のHさんと一緒に、山羊の煮込み料理をいただいた。Hさんはイギリス文学が専攻で、色白のかわいいお嬢さん。講習の最後は確認テスト。50点満点で37点以上取れないと追試、それでもだめだと再試らしい。何とか42点でパス。同じグループ7、8人の中には50点満点の人も2人いた。まずは安心。

 夕方から、同じグループの仲間と車2台に分乗してセブで一番大きい「シューマート」に買い物に行った。空港よりシューマートの方が交換レートがいいと聞いていたが、1ドルが39・5ペソで、大して変わらなかった。150ドルを両替した。実は出発前日、天満5丁目のパチンコ店「丸天」でパチスロ「ニューパルサー」で純益2万7000円を上げていた。すべて土産代に充てようと心に誓っていた。1階のアクセサリー用品売場で、大学1年生の長女用にとセールのパールのネックレスを499ペソ(約1500円)で買った。安い。次に4階の華僑の店で、妻用に金のピアス2セットを日本円で計1万円ぐらいで買った。金は今安い。次におもちゃ売場で高校2年の二女用にと、リカちゃんのボーイフレンドのケンの人形を1900ペソ(約5700円)で買った。ただし、この人形はフィリピンの男性の正装「バロン・タガログ」を着ている。中1の長男には何も買わなかった。
 1階の食料品売場ではサンミゲールビールの缶が14ペソで売っていた。日本円では42円だ。安い。というか日本では大蔵省がビールに高い税金を掛けているため高すぎるのだ。つまみ類、缶詰、チョコレートを買った。ダイブで同じグループの、ゼミ仲間という大学生カップルのOさんとUさんと3人で、2階のケンタッキー・フライド・チキンでセットを食べた。チキン2本におにぎり、コーラ大とコールスロー小2個がついて90ペソ(約270円)だったが、チキンは味付けが数段落ちる。

 その後、3人でタクシーでベラビスタに帰ることにした。シューマートから出た瞬間、タクシー乗り場の列に並んでいなかった腹黒い運転手が「250ペソ」と日本語で叫んだ。来る時は60ペソで来たので、英語で「だめだ。60だ」といって別のメータータクシーに乗り込もうとしたが、腹黒い運転手がメータータクシーの運転手とビザヤ語で何やら相談を始めた。結局80で交渉成立。3人で割り勘したから、1人当たり日本円で80円で乗った計算。20分ぐらいかかったと思う。
 自室で中国の「Vチャンネル」にKinKi Kidsが出ていた。AWSJでは1ドルが106円に突入したことを報じていた。このまま円高が進むと思うなら買い物はカードを使って外貨で支払う方が決済日までのタイムラグを考えると得であり、円安になると思うならなるだけ円を先に使ったほうがいい。しかしここフィリピンでは、ホテルをのぞいてほとんどの店でカードが使えない。まあ、どうでもいいさと考えながら、コンビーフの缶詰をつまみにサンミゲールを2本飲んで寝た。
 

<3日目>

 朝早く目が覚めた。フロントで従業員と話し込む。
 「ジャパゆきさんはいくらぐらい稼ぐのか」と質問され「日本の景気が良かったころはスポンサーが多かったろうから、最高で月に100万円ぐらい稼いだ人もいたかもしれない」「でも今はずっと少ないだろう」と答えた。従業員はさらに「私の父は大阪の毎日会館(にある店)でバンドをしている。もう10数年間日本に行きっぱなしで、たまに帰ってくるだけだ」と話した。父親が10年以上も異国に出稼ぎにいくという現実に、自らの単身赴任生活(3年がメルクマールで、既に2年4カ月が経過している)はまだましだと思った。しかし見知らぬ土地に根を張る華僑と比べると、フィリピン人は出稼ぎが主で、その経済基盤は脆弱だ。さて、いつもの粗食を摂り終えて、迎えの車でPRCへ。

 講習2日目は、午前がプール、午後が海洋実習。ウェットスーツを着て、ボンベを、BCDと呼ばれる空気で膨らませるベストのようなものにつなぎ、レギュレーター(空気を吸うところ)などをセットする。ブーツの上からフィン(足ひれ)をつけ、鉛(私の場合は5キロ)入りのベルトを着用し、顔にはシュノーケル付きのゴーグルを着用する。まず水にはいる時の練習。あと水中でゴーグルを一回はずして、再度着用し、吸い込んだ息を鼻から吹き出すすることによりゴーグルから水を排出する練習。ペア(バディ)のエアーがなくなったときに、もう一人が予備のエアーをあげるやり方とか、大事な合図の練習。ところでフィリピン人インストラクターのドゥドゥさんはガード下の焼き鳥屋のおっさんという感じで職人肌。もう一人のロイは大槻ケンジ似の若者だった。

 昼食後は初めての海でのダイブ。実は潜る前にゴーグルにつばをつけなかったために、ゴーグルが曇って曇ってしようがなかった。塩水はしょっぱいし、舌先は乾くし。海から上がる時、同じグループの若者たちは「もっと潜りたい」と言っていたが、私は正直言って非常に疲れていた。この日、関心したのは、突堤近くにラーメンのカップが浮かんでいるのを見つけたインストラクターがわざわざ海に飛び込んで回収したことだった。やはり海を愛しているからこそ、ゴミが気になるのであろう。この点は日本人も見習わなくてはいけないと思った。オリエンテーションで明日のダイブの場所は、Uさんの「ウミガメか、ジンベエザメが見たーい」というたっての希望で、セブ市北西のモァールボァール島に決まった。追加料金が150ドルかかるが、あと1日しかないのだから、ここはとふんぱつしてみる。

 気を取り直してその夜はベラビスタ5階のプライベートプールで泳いだ。いるのは私一人。夜景をみながら泳ぐ。ところがクロールをした時に、右のソフトコンタクトがはずれてしまった。スぺアを持ってきていたので助かった。従業員がプールサイドにやって来て「ウンサ ローム ナンベル」と言った。意味が分からなかったが、その後「部屋のカギを持っているか」と英語で聞いたので、405号室のカギをみせてやったら納得していた。ウンサはビザヤ語で「何」。「ローム ナンベル」は「ルーム ナンバー」のことだとやっと分かった。ひどいなまりだ。その夜も自室でサンミゲールを飲んだ。
 CBSニュースが東ティモール情勢のことばかりを報じている。東ティモールの最大都市は「ディリ」ビザヤ語で「いいえ」も「ディリ」。ただし後者は「リ」にアクセントを置くのだが。プールからみて右手にあるのが、2、3年前にできた新しい日本フィリピン友好橋。ゼネコンの鹿島と住友建設が作ったという。左手にあるのは旧橋だ。プールの脇にはジャグジーもあったが、虫がいっぱい浮いており、使えなかった。

<4日目>

 6時15分に送迎の車が来る。が、またまた目が早く覚めた。
 5時にフロントに降り、ボーイに日本語を教える。「いらっしゃいませ」「犬に気を付けて」「チェックアウトですか」等々。京都から参加しているOL2人も含めたわれわれメンバー7人は車2台に分乗して、約112キロ離れたモァールボァールへ。このうちUさんの乗った方の車はデジカメを取りに一旦PRCに戻る。車は朝のラッシュアワーを抜けていく。小学生もトライシクルに乗って通学。道路沿いにある学校では国旗掲揚の場面に出くわした。百人以上の生徒、教師がみじろぎもせず、ポールに国旗をあげている。FMラジオでちょうどエストラダ大統領の演説を放送している。道路沿いには、車にはねられた犬や猫の死骸がよくみられた。建設中の横断歩道橋もいくつかあった。途中のガスステーションで休憩。ガソリン1リッター当たり、日本円で約40円は安いよ。GS併設のコンビニの前で相方の車を待つ間、運転手にセブの銃器、麻薬問題を聴いた。

 銃はマルコス大統領時代は、セブ島の山奥の村に密造工場があった。安物だったが、村の特産品だった。しかしアキノ政権に変わってからは、ガン・コントロールが地方にも行き渡り、これらの村の細々とした家内労働は日本の銃器メーカーがのれんを買う形で、現地での生産はうち切られた。当然、銃器を使った犯罪は減った。麻薬では、大麻やコカインは所持することももちろん法律で禁止されている。ただ大麻は田舎では胃の薬として使われることがあるという。どこかに秘密の大麻プランテーションがあり、時々警察が捜索して、押収物を焼却しているという。休憩を終え、山道に入るとヤシやバナナの木が多くなる。途中、舗装されてない道路もあったが、どんなに田舎でも道を歩く人々は必ず服を着ている。このあたりはインドシナ半島と違う。実質失業率は50%ぐらいと現地の人は言っていたが、一人当たりのGNPはインドシナ各国よりかなり高いのではなかろうか。

 途中、土葬の墓地もある。横浜の外人墓地のように白い石(幅1メートル、長さ2メートル、高さ50センチぐらいか)が並んでいた。祭りにも出くわした。屋台の店がいっぱい出ている。未亡人たちは、長い白いろうそくを手に、ベールをかぶって、神妙な顔で教会に入っていく。途中、道路右側に「中絶は罪だ」という立て看板があった。父親が両手に手錠をかけられているイラストつきだ。裏側の看板には「ストップ・エイズ」と書かれている。さすがはカトリックの国だ。

 10時すぎ、やっと目指すモァールボァールに到着。ウェットスーツに着替えると、Tシャツ売りの子供が「買って」と迫ってくる。子供に名前を聞かれ「テツだ」と答えると、「後で買ってね」と笑顔。どこの国でも子供の笑顔はいいものだ。日本で子供の笑顔を見ることは少なくなったが。ダブルリガーの小船に乗って約15分のデスカドール島へ。
 ここでのダイブは最高だった。背中にコバンザメを付けたウミガメ、イソギンチャクの間を出入りするクマノミ、チョウチョウウオ、ミノカサゴ、ダツなどを見ることができた。(後でUさんにデジカメの写真をでメールで送っていただいて感謝感激)調子に乗って深さ25メートルまで潜り、ドゥドゥさんにしかられた。初心者は18メートルまでと決まっているのだ。一旦、昼食のために陸に上がる。途中、水中カメラのニコノスを持ったおじさんがいた。珊瑚礁の写真を撮るのが趣味だという。何でもそうだが、その道を究めようとすると結構、金がかかる。
 昼食はおべんとう。タンニングしながら日なたで食べていると、黒い子犬が一匹やってきた。外国では、恐ろしい狂犬病感染を避けるため、犬に近づくことは極力やめた方がいい。しかし腹を減らしているようだったので、魚のフライの切れ端をはしでちぎってあげる。と、大きな白い雌犬もやってきた。こちらにも平等にあげる。



セブ島モァールボァール沖のペスカドール島でダイブ中に遭遇したウミガメ。背中にいるのはコバンザメ
(女子大生のUさん撮影)



これもUさん撮影のミノカサゴ

 小休憩の後、さらに小舟で海に。テーブル珊瑚の上でコバルトブルーや黄色い小魚が遊んでいる。まるで水族館、東京でいえばサンシャインの、大阪なら海遊館。と思ったら、右手首に黄色と黒のまだら模様のウミユリが付着していた。このせいで、帰国後に腫れてしまうのだが。ともあれ最後のダイブは平穏に終わった。
 陸に上がると物売りの子供が群がってきた。Tシャツは150ペソ(約450円)という。取りあえず一列に並ばせて値踏みする。外国ではでは向こうの言い値で買ったら損する。しっかり縫製部分をチェックし「メードインUSAじゃないから3ドルだ」と主張する。こういう交渉は、相手の数が多ければ多いだけ、売り手側を競争させるにかぎる。最初の女の子が3ドルで値段交渉成立。あとは3ドルでいいTシャツだけを選ぶ。横着なおばさんが「私は2番目に並んでいる。私のを買え」とか言い出す。先に買うと約束していた女の子のを買うと、おばさんはまた文句をいう。そこで「ダブルスタンダードかもしれないが、約束は守らなければいけない。先に並んだからといっても買えるものじゃない」とこっちも声を張り上げる。結局3ドルでTシャツ6枚を買った。

 帰りの車中は心地よい疲れに包まれたが、あすには帰国と思うと、時間がもったいないから何でも見ておこうという貧乏性からまた寝られない。われわれの車はオスメニアサークル周辺の大渋滞を抜けて、フルーツスタンドでヤシの実を15ペソ(45円)で買い、その場で割ってもらいゴクゴク飲む。メロンをミネラルウォーターで割ったような味がした。中の白い部分もすくって食べた。同行のHさんら女性2人も飲み、記念写真を撮っていた。
 いったんPRCに戻り、ログブックに記録した上、記念のため同じチームのメンバー同士で空白にサインしあった。仮のオープンウォーターの認定証が一人ひとりに手渡される。そのたびに拍手が挙がる。顔写真入りの本物は3カ月後にエアメールで自宅に届くという。ふーっ、なんとかライセンス取れた。

 PCRのレストランでサンミゲールを飲んでいたら、メンバーのうち京都のOL2人がやってきたので同席。話していたら生演奏4人組がやってきて、各テーブルを演奏しながら回る。これがうるさいし、恥ずかしい。1曲が終わったところで退散してもらおうと50ペソ紙幣を渡したら、すぐ別のテーブルに去っていった。現金なやっちゃ。サンミゲールは結局2本飲んだが、1本目で、体が波間に浮いているような感じ、2本目で頭の中に昼間のダイブの光景がフラッシュバックしてきた。ベラビスタまでは、ナイトダイブを楽しんだという広島県の老年グループと一緒の車だった。翌日も5時起きということで、出国税550ペソを別にして、現金残高管理作業後、0時ごろに就寝。

<5日目>

 迎えの車は6時20分頃来た。
 実はチェックアウトでややもめた。前日、冷蔵庫からミネラルウォーターを持ち出して、夕方には返したのだが、42ペソしっかりとられた。悪い思い出にしたくないからと最後に払った。
マクタン空港は、案の定、免税店が貧弱だった。規模は関空の5分の1位。酒、チョコレートとか、菓子類ぐらいで、特に香水類はあまりいいのはなかったが、財布には3000ペソ(9000円)ぐらい残っていたので、やむなく買う。自分用にはラコステのトワレを買った。セブはギターが特産品だが、安物は後で必ずひびが入ると聞いていたので、買わなかった。

 帰国便の映画はまた「ノッティング・ヒル」。おいおい、別なのはないのか。おまけにプロジェクターが壊れている。ドルが余っていたのでおみやげ用にタバコと香水を買った。関空に着くと雨だった。税関では「一人でダイビングに行かれたんですか。向こうにお知り合いでもいるんですか」とか聴かれた。中年男が一人でダイビングに行っちゃおかしいか。荷物を受け取り、Tシャツや香水、チョコレートなど段ボール1箱分、宅配便で東京の妻子に贈った。時計をみると午後2時。きょうは午後4時から会社で会議だ。やっと現実に戻った。
 

(後記)

 日常の惰性に流されてきたような日々の中、思い切ってダイブツアーに参加して本当に良かった。休暇といえば遊ぶだけの日々だったのが、やっぱり人生はチャレンジだなあと、自分の人生観がちょっぴり変わったような気がするし。中年の人にもおすすめですよ。泳ぎがへたな私にだってライセンスが取れたんだから。道中、一緒になったみなさま、本当にありがとうございました。


 

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