- 日時: 2005/03/27 00:19
- 名前: 船で行きたい人
- SuperFerryのeチケットは、ネットで購入できます。
http://www.superferry.com.ph/ SuperFerryの発券所で紙チケットを受け取る際に、 プリントアウトした紙の提出を要求されました。
【マニラ港】 マニラ港はノースハーバーとサウスハーバーとに分かれています。 SuperFerryの桟橋、ピア15はサウスハーバーにあります。 マニラホテルの裏側の通りにサウスハーバーのゲートがあり、 ここで、ライフル銃を構えたガードマンが検問を行っていました。 ピア15は、ゲートを抜けて真っ直ぐ、200mくらいのところでした。 エルミタのロビンソンズからメータータクシーで52.5ペソ。
ピア15の入口には6つの金網通路が有ったのですが、周辺一帯は おしくらまんじゅう状態でどこも人の群れでごったがえし(汗だく)。 ぐいぐい押して金網通路の前まで来ると、職員がチケットチェック。 チケットを見せて入れてもらうと数メートル先で荷物チェック。 荷物チェックが終わると、職員が荷物にINSPECTEDと印刷された シールを貼る。全て人手に頼った行き当たりばったりの非効率性。 こんなにたくさん乗客がいるのに、時間内にさばき切れそうにない。 チケットには「出発の4時間前迄に来い」と表示されているが・・・
奥に向かう通路入口で荷物のINSPECTEDシールをチェックされた。 人の流れに沿って改札口へ移動。途中になぜかチケット売り場があった。 改札口手前に到着すると職員が荷物を置いて端に行けという。 荷物の列が伸びると、職員が「GO!」の合図、 乗客は一列単位で待合室に入っていくという手順。
待合室は広くて冷房完備。自分の行き先のゲートを通過して外へ。 うお〜、グランドレベルから船のデッキへ階段が伸びているゾ〜。 4階かな?、荷物を持ってひたすら階段を登っていく(汗だく)。 すると、上からクルーが出てきて荷物の片側を持ってくれた。 登山が終わると、クルーが「チケット」と言うので渡したら、 荷物を運んでくれてレセプションまで案内された。HAVE A SEAT。 受付嬢がチケットを見ながらパソコンに何か打ち込んでいた。 そのクルーはさらに部屋の前まで丁寧に案内してくれた。 クルー(ポーターではなくて乗組員です)に質問したけど、 「チップなんてとても貰えないよ」と言われました。
SuperFerry09 CABIN:OUTSIDE, DOOR WITH LOCK, SHOWER, W/C BUSINESS:OUTSIDE, DOOR WITH LOCK, (Shared Shower is Cold) TOURIST:INSIDE(Vast Room), (Shared Shower is Cold) ECONOMY:PIPE BED WITHOUT WALL / CURTAIN 食事は極めて質素。ライス1カップ、おかず2品、スープ、お菓子。
ビジネスクラスで、ディポログ市の市会議員と同室になりました。 みんな開けっぴろげで貴重品の管理はさほど気にしていない様子で した(日本と同じ)。千人以上居る乗客の何人かは悪い事をする人 かもしれませんが、99%以上は良い人たちに見えましたがー ただ、エコノミークラスは筒抜けで丸見えになるので、お金持ちの 外国人は悪い人にねらわれるかもしれません。
港周辺の治安ですが、夜9時過ぎでも危ない感じはありませんでした。 スリくらい?、むしろ、夜中の方が涼しいので良いのではと思います。
【セブ港】 大型フェリーは、ピア5やCIPから出港するようだけれども、 乗客は、ピア4にチェックインするようです。 入口で荷物チェックをしている建物です。 タクシーで行ったら、港湾職員に車両通行料10ペソを徴収された。
荷物チェックの後は、麻薬犬が登場して薬物チェック。 建物左手側にチケット売り場があり、この横のゲートで番号札を もらって、屋外の待合所へ移動。
乗客は自分の番号を呼ばれるまでのんびり待つ。 呼ばれたらバスに乗って港内を移動。 ピア4からフェリーの所までバス移動だ。 マニラと全然違ってとても簡素でした。
SuperFerry12 にはエスカレーターがあった。 なので、1階だけ階段を上がる感じで、 乗船は比較的楽チンでした。
SuperFerry12 CABIN:4th Deck, INSIDE, DOOR WITH LOCK, HOT SHOWER, W/C BUSINESS:NONE TOURIST:3rd Deck, OUTSIDE, DOOR WITH LOCK ECONOMY:PIPE BED WITHOUT WALL / CURTAIN 黄色い毛布に”阪九フェリー”の文字がある。 食事はやはり極めて質素。
キャビンクラスで、サンボアンガ市の父娘と同室。 父親は昔、三菱電機で働いていたそうで少し日本語を話せた。 娘はセブの看護学校で勉強中らしいがテレビばかり観ていた。
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